胎児期から始まるコホート研究で、生活習慣病の早期予防に挑む
千葉大学予防医学センターの櫻井健一先生と東京大学大学院新領域創成科学研究科の鎌谷洋一郎先生は、胎児期から追跡するコホート調査で採取されたさまざまな試料を用い、糖尿病や肥満の発症因子を探っています。お二人に研究の内容や進展、社会実装に向けた展望、DNAメチル化と一塩基多型(SNP)の情報を組み合わせることで広がる可能性について伺いました。(以下敬称略)
Q. まず千葉大学予防医学センターと櫻井先生が関わっているコホート研究について教えてください。
A. 胎児期から小児期までの環境の健康影響を調べるコホート研究を行っています(櫻井)。
櫻井:千葉大学予防医学センターは、生活習慣病や心の病、環境がもたらす健康影響などを事前に防ぐ「予防医学」の研究・普及を図ることを目的として、設立されました。私自身は、2015年から栄養代謝医学部門に所属し、当センターで実施しているエコチル調査、胎児期に始まる子どもの健康と発達に関する調査(こども調査)の2つのコホート研究全体に携わって、栄養と腸内細菌や健康の関係を研究しています。
エコチル調査は、環境省の事業として2011年に開始した子どもと環境に関する全国調査で、約10万組の子どもと両親が参加しています。調査名は「エコロジー」と「チルドレン」の組み合わせで名付けられました。調査期間は、胎児期から13歳に達するまでです。この間、母親の妊娠中と出産時の血液や尿、出産時の臍帯血、母親と子どもの毛髪、母乳、父親の血液、子どもの乳歯などが採取されてバンキングされるほか、化学物質が測定され、質問紙調査も行われます。10万人規模の親子のコホート研究は、世界的にも珍しいものです。
こども調査は当センター独自の研究で、胎児期から5歳までの子どもと両親を対象に、血液や尿、母乳、乳歯などの採取と質問紙調査を行っています。最近、研究計画を変更し、15歳まで延長することにしました。2014年に開始した第1期は400人規模で、参加者はエコチル調査とは異なります。エコチル調査よりも臍帯や母子の便など試料の種類が多く、また、分析する内容をエコチル調査とは変えています。こども調査がエコチル調査を補完するような研究にできればと考えています。
千葉大学予防医学センター 櫻井 健一 先生
Q. 櫻井先生の現在のご研究はどのようなものですか。
A. 胎児期の環境とDNAメチル化、肥満や糖尿病の関連を調べています(櫻井)。
櫻井:今、私が注力しているのは、Infinium™ MethylationEPICBeadChipを用いた、胎児期・小児期のDNAメチル化と疾患との関連の研究です。
胎児期および出生後の早期の環境因子が、成人後の疾患のリスク因子に関わるという概念、“Developmental Origins of Health and Disease”(DOHaD)が近年注目されています。当初はコホート研究の結果から、低出生体重が成人後の冠動脈疾患や呼吸器疾患、腎疾患などと関わるとされ、現在はDNAメチル化やヒストンのアセチル化、miRNAの変化といったエピゲノムがキーワードになっています。
私自身は、糖尿病や肥満のような代謝疾患を専門とする内科医で、胎児期の環境とメチル化が成人の糖尿病や肥満とどうつながるかを研究しています。糖尿病や肥満の発症には栄養だけでなく、化学物質も影響を与えることが示唆されており、環境因子も重要な研究テーマです。
胎児期や出生直後のメチル化と小児肥満の関係がわかれば、将来の肥満や糖尿病の発症を予防できる可能性があり、出生前からの予防もできるようになるかもしれません。このような胎児期からの発症予防は、エコチル調査やこども調査の目標でもあります。
糖尿病などに関するメチル化の情報は、臍帯血や大人の末梢血ではいくつか報告がありますが、臍帯は報告されていません。また、臍帯の組織には間葉系細胞が多く含まれています。脂肪細胞も間葉系に含まれることからも、臍帯の有用性に注目しています。
もうひとつ、DOHaDに関連する因子として腸内細菌が挙げられます。腸内細菌は出産時に母から子に伝わり、子どもに影響する可能性があること、また食事も家族は似たものを食べるので、腸内細菌に親の影響が現れます。そこで、こども調査で採取している便を使って、腸内細菌と糖尿病や肥満に関して研究しています。
Q. 鎌谷先生のご研究内容はいかがでしょうか。
A. 多くの因子が複雑に関連する形質を、ビッグデータを用いて解析しています(鎌谷)。
鎌谷:疾患など多くの因子が関連する性質(形質)=複雑形質について、ゲノムなどのビッグデータを、遺伝学、統計学、AIや機械学習などを用いて解析しています。
SNPアレイを用いて1塩基多型を調べ、疾患などの遺伝的要因を解析するゲノムワイド関連解析(Genome Wide Association Study; GWAS)を長年手がけてきましたが、複雑な形質を見るには、レアバリアントやオミックスのデータなどを組み合わせる必要があり、その解析手法の開発も含めて、研究を進めています。
肥満、脂質や血圧、血糖のコントロールに関するさまざまな遺伝的因子、生活習慣や環境などのリスク因子が重なって発症する生活習慣病も、複雑形質の1つとして研究対象としています。例えば、脳梗塞や脳動脈瘤といった脳血管障害とDNA多型の関連を国際共同研究で調べています。脳動脈瘤の予防的スクリーニングとして脳ドックがありますが、国民全員に毎年MRI検査を行うわけにもいきません。DNAから脳動脈瘤の起こしやすさが分かれば、MRI検査を行うべき脳動脈瘤の高リスク群を血液検査で同定し、効率的な予防に結び付けることができるかもしれません。医師出身の研究者としては、最終的には研究の成果を医療に結びつけたいと考えています。
東京大学大学院新領域創成科学研究科 鎌谷 洋一郎 先生
Q. 鎌谷先生は、日本人ゲノム解析に最適化されたSNPアレイ“Infinium Japanese Screening Array(JSA)”の設計に携わられました。櫻井先生とは現在、このマイクロアレイを使って研究されていますね。
A. こども調査の試料の一部で、DNAメチル化とSNPの関連を調べてみました(鎌谷)。
鎌谷:京都大学大学院医学研究科の松田文彦教授(疾患ゲノム疫学)にお誘いいただき、Infinium Asian Screening Array(ASA)の一部を改変して、日本人多型のインピュテーション性能を上げられるようにする作業に協力しました。ゲノムデータは多層からなるオミックス研究の基盤であり、いろいろな他のデータと組み合わせることで、研究結果の解釈の幅が非常に広がりますから、安価で精度の高いアレイの選択肢が増えることが大事です。JSAによって日本人のゲノムデータがよりシャープに見えていくと考えています。
櫻井先生との共同研究では、EPICとJSAを用い、こども調査の試料のメチル化とゲノム情報の関連を調べています。91名分の臍帯組織からDNAメチル化状態に影響を与える座位の特定を行い、解釈に進むことのできる結果が出ています。通常100人規模のSNPアレイの解析で有効な分析結果を出すのは難しいのですが、メチル化と組み合わせることでサンプルサイズが小さくても統計学的有意性を出すことができました。
Q. ゲノム情報と、DNAメチル化の情報やコホート研究の結果を組み合わせることの重要性について、どのように考えていらっしゃいますか。
A. ゲノム・エピゲノム・疾患情報・コホート研究の組み合わせによって、病気の成り立ちが理解できます(櫻井)。
櫻井:遺伝的素因があっても病気になる人とならない人とに分かれていく、その過程を理解するには、おおもとにあるゲノム情報は最も重要です。さらに曝露された環境の情報やDNAメチル化のようなエピゲノムの情報が必要になります。メチル化したDNAは割と長く保持されますから、胎児期、出生直後、小児期のDNAメチル化で病気の発症の傾向を見つけることができれば、予防が可能になるかもしれません。ゲノムとエピゲノム、環境の情報、なおかつそれを長期的に追跡するコホート調査が組み合わされることによって本当のことがわかると考えています。
鎌谷: ゲノムは受精したときに完成していますが、そのゲノムが成人の病気に関係しているということは、受精してから成人までのさまざまな段階が病態に関与し得るということです。通常、成人の病気を対象としたヒトゲノム研究では成人のデータを取ります。例えば臍帯血でわかる特異的なメチル化がもし病気に関係しているとしても、成人のゲノムの研究ではそれが見えない。成人になってからのゲノム解析と臍帯血のゲノム解析を比べるという手段によって、胎児期や出生後すぐの環境の影響と病気との関係がわかります。
櫻井:現在行なっている出生コホート調査では、子どもや親の試料の化学物質の他にも、さまざまな情報を取り込んでデータベース化しています。食事、薬剤、紫外線や騒音、化学物質などヒトが曝露されたもの全体を見るエクスポソーム的な要素とゲノムの組み合わせが調べられるので、出生コホート調査でゲノム研究が進めば、大きな成果が得られるはずです。
鎌谷:環境物質の中でも歴史的に人類が長く共存していて人体に影響を及ぼすような物質に対する反応性の差を来たす遺伝的な変異は、ヒトの集団の中で頻度が低くなるよう自然選択が起きている可能性が高い。一方で、新しい物質に対しては強烈に反応する遺伝的な因子がある可能性があります。そのような遺伝的な因子がわかると、それを持つ人はその物質にあらかじめ注意することができます。ゲノムを調べれば、疫学の結果がもっとシャープに解析でき、社会実装にもつながりやすくなるということですね。
Q. ゲノム研究の成果の社会実装に関してはどのようにお考えですか。
A. 社会のゲノムそのものへの理解を進め、差別されない社会システムを創ることが重要です(鎌谷)。
鎌谷:社会実装には、いくつかの段階があります。ゲノムデータを医療に活かすという点では、がんと単一遺伝子性疾患はほぼ実装段階です。がんはゲノムが後から変化する病気で、遺伝性疾患は産まれたときに非常に大きな遺伝子変異が起こっているという点で特殊だからこそ、ゲノムを使う診断や治療が実現できつつあります。
その他の、多数の遺伝子が関わっている病気についても遺伝的因子がわかってきています。後は技術面やコスト面がもう少し進展する必要があり、また、社会で実際に使うための工夫を具体的に詰めていく段階だと認識しています。
ゲノムに関しての社会での周知が足りないということはよく言われていて、そこは我々も努力しなくてはいけないですね。
櫻井:ゲノム、エピゲノムと形質の関係がわかってくると病気の予防にも役立つでしょうし、教育に展開すれば、国民全体の健康につながるかもしれません。
鎌谷:今、科学の進歩でヒトというものの理解が根本的に変わってきていること、またゲノムとは何かを、研究者だけではなくて、多くの人が理解する必要があります。そうしないと、医療の現場で自分が何をされているかわからないということになってしまいます。そして、ゲノムによる差別が引き起こされない社会システムを創っていくことが大切ですね。
Q. 今後はどのような研究をされるのでしょうか。
A. 室内の空気の分析などの環境因子とゲノムの解析を追加する予定で、シングルセル解析も面白いと思います(櫻井)。
櫻井:今年始まる、こども調査の第2期では、家の中の空気のサンプリング、空気中の有機物質の吸着、埃の採取によって化学物質やアレルギー抗原を調べます。そして、母子の血液や臍帯中のDNAメチル化との関連を分析します。ゲノム解析も計画しています。
エコチル調査はさらに継続されるかどうかが検討されているところです。この調査は東日本大震災の直前からエントリーが始まっており、またこのコロナ禍をまたいでいるので、さまざまな環境の変化による子どもたちへの影響を追うことができるはずです。可能な限り延長してほしいと願っています。
将来的には小児のメタボリックシンドロームを調べたいですね。小児のメタボリックシンドロームには診断基準があり、空腹時採血が必要になります。エコチル調査やこども調査では空腹時採血が含まれていませんが、中学生くらいになれば可能ですから、メタボリックシンドロームにあてはまる子どもの割合や過去のデータを分析できればと考えています。
鎌谷:ゲノムやエピゲノムの情報とシングルセル解析との融合も面白そうです。
櫻井:例えば、1人の赤ちゃんの臍帯と臍帯血のDNAメチル化をRRBS (Reduced Representation Bisulfite Sequencing)を使って比較してみたところ、違いがあるのがわかりました。そういった組織ごとのメチル化の違いが将来どんな病気や形質のマーカーになるかは興味深いですね。
今後は特定の細胞を採取してDNAメチル化のパターンを解析することでより細かいものが見える可能性があります。例えば、肥満との関係が強いといわれるマクロファージあるいは単球を調べることで、将来の肥満の発症予測や肥満のタイプがわかるかもしれません。
千葉大学亥鼻キャンパス医学系総合研究棟の研究室にて
左から、高橋朋子先生、鎌谷洋一郎先生、櫻井健一先生
本事例紹介で取り上げられている製品の詳細はこちら:
DNAメチル化解析ツールInfinium MethylationEPIC BeadChipと日本人ゲノム解析に最適化されたSNPアレイInfinium Japanese Screening Array(JSA)