全ゲノムSNP 解析で、牛の遺伝的改良を科学的に支援
乳を多く出すホルスタイン、肉の質と量が確保できる黒毛和種など、畜産農家は牛に求められる能力を限りなく追求します。一般社団法人 家畜改良事業団 家畜改良技術研究所 遺伝検査部の荻野敦先生らは、それを科学的にサポートしています。荻野先生に家畜としての牛の遺伝子型検査の意義や方法について伺いました。
Q. まず家畜改良事業団のお仕事について教えてください。
A. 事業団では種雄牛の作出と凍結精液の配布を行い、研究所ではさまざまな遺伝子型検査を行っています。
家畜改良事業団(http://liaj.lin.gr.jp)の主な業務は、乳牛と肉牛の優良な種雄牛の作出とその凍結精液の配布です。それに加えて、牛群検定などのデータ収集と分析、個体識別も行っています。私が所属している家畜改良技術研究所では当初は血統を担保するための親子判定が多かったのですが、今では多岐に渡る遺伝子型検査を実施しています。家畜だけでなく、ペット、動物園、水族館や水産試験場の動物や魚類、爬虫類などの親子判定や遺伝的距離の確認の依頼があり、“ヒトを除く動物”に対象が広がっています。
Q. 牛の遺伝子型検査はどのような意味を持つのでしょうか。
A. 親子判定や遺伝病の検査のために必須です。
ホルスタインのような乳牛も黒毛和種を代表とする肉牛もともに昔から血統が重視されており、親子判定が行われています。牛の場合、能力における影響は遺伝が5 ~ 6 割、餌や飼育環境が4 割~ 5 割といわれています。
受精卵移植により別の雌牛の借り腹で産ませることが多く行われているため、乳牛、肉牛の両方でDNAによる親子判定が義務付けられています。特に黒毛和種が借り腹のホルスタインから生まれることもあり、生まれてくるのは純粋な黒毛和種ですが、本当にそうであることを証明するための親子判定が義務付けられているのです。
親子判定については、家畜の能力検定に関する国際委員会であるInternational Committee for Animal Recording(ICAR)の認定ラボになっています。世界中で精子やデータをやりとりするホルスタインの場合、親子判定は認定ラボのデータで実施することが義務づけられています。
もう一つ、遺伝子型検査で大切な意味を持つのが遺伝病の検査です。遺伝病は遺伝子型検査が始まる前は発症して診断がついてから、その牛を淘汰し、その親を淘汰していたのですが、現在はDNA解析により原因遺伝子が特定され、遺伝子型検査が行われるようになりました。劣性遺伝である遺伝病は遺伝子を調べることでしか保因個体を発見できないため、この点では遺伝子型検査の貢献は大きいですね。
Q. 現在、従来から行われてきた推定育種価と、遺伝子のSNP(一塩基多型)検査の結果を統合させたゲノミック評価が行われていますね。推定育種価とはどのようなものでしょうか。
A. 種雄牛の能力は子牛が成長しないとわからないため、膨大なデータを組み合わせて推定しています。
推定育種価は、乳牛であれば乳量、肉牛であれば肉が取れた量やサシ(霜降り)の量など個体別の記録と血縁関係の記録から、その個体の能力を推定するもので、20年以上の蓄積があります。理論は昔からあったのですが、計算が複雑で膨大であったため、コンピューターが発展するまでは実用化できませんでした。
推定育種価のもとになっているのは、子牛の能力が高ければ、その親の能力も高いだろうという推定です。雄牛は乳を出さず、乳量は計測できません。また肉牛でも肉に加工されたら子牛は作れない。そのため、種牛となる雄牛が乳量を増やしたり、肉の量や質を上げたりする能力は子牛から推定するしかありません。
1頭の雄牛に関して、それぞれの毎年の乳量、餌など、また両親や祖父母の記録ができ、さらにその1頭目の子、2頭目の子と記録も増え、さまざまな項目が加味されて推定育種価が出て来ます。そうして、それまでは見た目や畜産農家の勘に頼っていたのが、これによって、記録を持たない牛の遺伝的な能力も含めて、科学的に種雄牛の能力を推定できるようになりました。
Q. その推定育種価に、SNP検査が加わりました。どのような経緯で行われるようになったのですか。
A. ホルスタインは国のシステムを利用し、黒毛和種は独自の方法でレファレンスとデータベースを構築しました。
遺伝病を含む遺伝子型検査は20年以上前から行っていました。また、DNAによる親子判定はマイクロサテライトを使って行っていました。DNAチップによるSNP検査を始めたのは2009年です。当団の職員が米国で新しい遺伝子型検査が行われていることを知り、2008年に調査に行って、日本でも導入することになりました。
ホルスタインは日本では種雄牛を管理している4団体が国とともに、国内で毎年180頭ずつ検定していたホルスタインの、昔の凍結精子を日本中から収集して分析しました。2010年には約2,600頭をレファレンスとして、データベースを構築し、初めてゲノミック評価値で種雄牛候補を選定しました。乳牛は最初に種雄牛の候補を選んでから、その娘牛が子どもを産んで、乳を出したときに初めて種雄牛の能力がわかるまで7年ほどかかります。そのため、候補の選定は非常に重要になります。
一方で、黒毛和種は非常に貴重で血統も管理されていたものの、種雄牛所有者は分散しており、検査条件も異なるため、ホルスタインと同じ方法で取れませんでした。実際、レファレンスやデータベース化は難しいという意見もありました。
そこで、まずは当団が当時管理していた黒毛和種候補種雄牛、年間40頭分のDNAを分析しました。そして、その産子の実際に販売された肉のDNAを分析し、データを統計学的に組み合わせ、レファレンスやデータベースを作りました。黒毛和種の種雄牛の産子が肉になるごとに検査を繰り返し、レファレンスを増やして精度を高めてきました。こうして、推定育種価とSNP検査データを統合するゲノミック評価が2013年度に本格的に始まりました。米国にならって当初からイルミナ社の機器を導入しました。現在は、SNP検査にはiScanシステム、および Infinium XTという大規模ジェノタイピング用のマイクロアレイ製品を利用しています。一度に検査する検体数もフレキシブルに変えられるので、このシステムが今のところ一番よいと考えています。
Q. ゲノミック評価にはどのようなメリットがありますか。
A. 畜産農家にとっても種雄牛の能力がわかりやすくなり、品種改良が進みました。
推定育種価にSNP検査を加えたゲノミック評価が始まってから、改良のスピードが上がりました。黒毛和種では最高のA5ランクの肉質を持つ肉牛がどんどん出るようになったと聞いています。当団でも毎年40頭の種雄牛候補について子牛を作って検定していたのが、今は30頭に減らしても素晴らしい素質の候補牛を確保できています。
畜産農家にとっては、種牛の能力である推定育種価はその産子が成長しないとわからないため、種牛としての能力が高かったのに見た目が悪かったから肉にした、他に売ってしまったといったことがありました。それがSNP検査を組み合わせると、子牛であっても早期に能力が判定できるため、喜ばれています。現在、当団でゲノミック評価によってどのくらい収益アップになるかを試算しているところです。
ゲノミック評価は、例えばホルスタインは各国でリファレンスが作られています。研究として日本の和牛とオージービーフの遺伝的な比較がされるといった例はありますが、黒毛和種は日本固有の遺伝資源で外に出すことはありません。各国が固有種や農業的に大事にしてきた品種の遺伝子データベースを作っているわけではなく、肉の単価が高い黒毛和種のようにコストをかけて調べる種は例外ですね。
ゲノミック評価は月1回実施しており、検査件数は毎月乳牛も肉牛も1,500件程度、検査期間は肉牛で約1か月半、乳牛で約2か月です。肉牛は都道府県単位で管理されていることが多く、ゲノミック評価がまだ入っていないところもあり、これから増えてくると思います。県や地域から依頼があれば、当団で作成したリーフレットを配布したり、我々が勉強会に出向いたりしています。
Q. 遺伝子型検査はほかの畜産業にも広がるでしょうか。
A. 豚のゲノミック評価を研究中です。ほかの動物にも広がる可能性が考えられます。
畜産業全般の品種改良に遺伝子型検査は大きな可能性があると思います。実際、種雄牛のニーズも多様化しつつあり、それに合わせてゲノミック評価も迅速に変えていかねばなりません。例えば、動物の福祉を考慮すると、遺伝病などの発症を未然に防ぐことはさらに重要視されますし、ホルスタインの角の切除や焼きごてによる焼灼をしないために、角を生やさない遺伝子の導入やその検査が必要になる、といったことが今後進むのではないかと考えます。
ブタの品種改良についてはゲノミック評価の開発を進めている段階です。牛ほどの検査頭数がなく、親になるブタの改良のみで行っています。また、魚類ではゲノム編集が進んできていますし、遺伝子型検査が育種に使われてくるかもしれません。
ゲノミック評価は、例えばホルスタインは各国でリファレンスが作られています。研究として日本の和牛とオージービーフの遺伝的な比較がされるといった例はありますが、黒毛和種は日本固有の遺伝資源で外に出すことはありません。各国が固有種や農業的に大事にしてきた品種の遺伝子データベースを作っているわけではなく、肉の単価が高い黒毛和種のようにコストをかけて調べる種は例外ですね。
ゲノミック評価は月1回実施しており、検査件数は毎月乳牛も肉牛も1,500件程度、検査期間は肉牛で約1か月半、乳牛で約2か月です。肉牛は都道府県単位で管理されていることが多く、ゲノミック評価がまだ入っていないところもあり、これから増えてくると思います。県や地域から依頼があれば、当団で作成したリーフレットを配布したり、我々が勉強会に出向いたりしています。
マイクロサテライトDNAマーカー技術が出て来たころに大学の畜産学科の育種の研究室に入り、研究所に入所後もこの技術を使って種雄牛の評価などを研究していました。推定育種価の計算方法、SNP検査の方法の確立にもずっと携わってきています。
もともと動物が好きで畜産学部学科に進学しました。ただ、当研究所には全国からさまざまな検体が来るので、例えば口蹄疫ウイルスなどが混じっている可能性もあります。自分が媒介者にならないために動物には触れられなくなっているのがちょっと寂しいところです。